〔万人に共通の幸せはない〕
見た目の成功≠求めている成功
先日、私から見ると大成功している方とお話をする機会がありました。
その方は物販で成功されて、それを発信していくつものスクールやコミュニティを作り、それらを人に渡して、自分で動かなくても利益が入る仕組みを作りました。
それは私が目指している『成功』だなと思うのですが、その方は自分にとってはまだまだ『成功』ではないとおっしゃっていました。
時間やお金は自由になるけれど、各事業にまだ責任が伴っているので、自分が目指す『成功=完全な自由』ではないのだそうです。
幸せそうだが私の目標とは違う
セブに住んでいる時、アパートと会社を歩いて往復した時期がありました。
大通りに面したアパートから、リゾートホテル敷地内にある会社まで、舗装されていない道をゆっくり歩いて15分。
間にはスラム街の家よりは少しマシな程度の簡素な家々があり、現地の方の生活がよく見えました。
昼間からビリヤードや闘鶏をして遊んでいる大人たち、泥んこになって遊んでいる子供たち。
セブは温暖だし、果物も魚介類もとれるから、働かなくても凍えたり、飢えたりすることはないのだとか。
本当に楽しそうな、日本ではあまり見かけないような笑顔を見て、
「幸せそうだなあ」
と思いました。何を幸せと感じるかは人それぞれですが、少なくともセブのあの通りに住んでいた方々は、私の目にはとても幸せそうに見えました。
でも、自分がそういう生活に満足できるかというとそんなことはなく、もっといろんなことを見聞きして未知の世界のことを知りたいし、仲間たちと協力して何かをつくりあげる達成感も味わいたいです。
将来的にはお金や時間から自由になり、それらを使って世の中に貢献したいとも思います。
すでに与えられている恵み
そういう意味で、この時お話をした方の人生は私にとって、『成功』のお手本です。
この方は、
「自分には突出した才能があるわけではないし、誰にでも才能はある」
「違いは、もっている才能を発揮できるかどうか」
とおっしゃっていました。
私は平均的な読み書き計算ができ、ちょっぴりの理解力と思考力があります。
加えて、素晴らしい環境の中にあり、私を理解し協力してくれる家族もいます。
これらの恵みを活かさない手はありません。
どこに幸せの中心を置くか
心理学者のマーチン・セリグマンは、
「幸せ感には『普通の幸せ』と『真の幸せ』があり、後者は自分の能力を発揮する機会を与えられたり、大切だと価値をおいている仕事に携わったり、または自分にとって意味がある課題に取り組んだりして、自己充実を感じるときに感じる幸せ感だ」
と言っています。
まさに今の私は、『真の幸せ』を感じつつ、『成功=ゴール』を目指しているところです。
あなたにとっての『成功=ゴール』はどこにありますか?
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