〔応援の心をまっすぐ届けるために〕
“がんばれ”が応援にならない時
私が教員時代の途中から口にしなくなった言葉があります。
それは
「がんばれ」
という言葉です。
昔は子供達のモチベーションを上げようと、応援するつもりで
「がんばれ!」
と言っていましたが、ある日、普段はおとなしい中学年の女の子から
「どうやってがんばればいいの?私、もうがんばってるのに」
と言われたのです。
彼女にとって「がんばれ!」は
「まだ足りない!もっとやれる!」
なのだということに、その時に気づき、簡単に
「がんばれ!」
を言えなくなりました。
受け手に解釈を委ねる言葉
考えてみると『がんばる』というのは便利な言葉です。
- 旅立つ人に
「向こうでもがんばってください」
といえば
「活躍してください」
というような意味。 - 病気で苦しんでいる人に
「がんばれ」
といえば
「もう少ししたら薬が効くから耐えて」
というような意味。 - テストの点が低かった子に
「次はがんばれ」
と言えば、
「次のテストまでにもっと努力しなさい」
の意味。
明確な意図なく使えば意味がない
私は子供の頃から
「がんばったね」
と言われることが自分に対する正の評価だと思ってきました。
『がんばり』が評価に直結する教員の世界に浸っていたのでなおさらです。
「あの先生は遅くまで職員室に残ってがんばっている」
「今日の研究授業、子供たち、がんばっていましたね」
それは、仕事の成果とは関係のない根性論で、教員を辞めて会社に入ってからは全く通用しないものでした。
いざという時にがんばれる力(集中力や忍耐力など)はとても大切だと思いますが、がんばれば目的が達成できるというものではなく、
- 「何に注力するか」
- 「どのような方法で行うか」
- 「どうやって続けるか」
とセットにしないと意味がないのだなということを知りました。
大きなパワーを発揮する時
とはいえ「がんばれ」の励ましは時に大きなパワーをもちます。
最近聴いた、さだまさしさんの『緊急事態宣言の夜に』は
「お前のお袋死なせたくないんだ、大切な人なくしたくないんだ」
から始まるメッセージ性の強い歌で、とても感動しました。
ラストは
「がんばれ」
が連発されるのですが、それまでの歌詞に、
- 生活インフラを守る人たちや医療現場で働く方々への感謝
- 無事への祈り
- 自分も頑張るという決意
- 一つになろうという呼びかけ
があっての
「がんばれ」
なので、心に響くのです。
「がんばれ」
という言葉は使わないようにするのでなく、そこに託した思いをきちんと伝えたうえで発しようと思いました。
あなたは誰をどのように応援したいですか?
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