〔難病市民公開講演会に参加して①〕
先日、福岡市市民福祉プラザ ふくふくプラザで開催された、難病相談支援センター主催の難病市民公開講演会『チャレンジ 挑戦する勇気』に、夫と一緒に参加しました。
3つの講演と公開対談があり、いくつかの面から貴重なお話を伺うことができました。
もののとらえ方にどきっ
最初は九州大学で健康・スポーツ科学を教える内田若希さんのお話。
駅の階段下で困っている車椅子の利用者に例えて、「障がいをどう捉えるか」ということを話してくださいました。
WHOによる『障がいを捉える3つの視点』によると、以前は
- 医学的診断–この人は肢体不自由である
- 能力の障がい–この人は障がいがあるために車椅子を使用し、そのために階段を上がれない
- 社会的不利–障がいがあるから仕方がない(個人の問題)
であったのが、現在は
- 心身機能–階段を上がれない人がいる(全員が対象)
- 活動能力–この人は車椅子で移動することができる
- 社会参加–駅にエレベーターがないのが問題
というように変化しているそうです。
「階段を上がれることが当たり前」
ではない、ということです。
選択肢を守る
内田さんがおっしゃっていた、
「周りの人に助けてもらえばいいという人がいるが、実際に障がいを抱えた人は『自分は子供ではない』という思いをもっている」
というお話も心に残りました。
そこに選択肢がない(自分は助けてもらわないと2階に行けない)ということが問題だということです。
これは胸に刺さりました。
これからは電車の優先席に(見た目)健康そうな人たちが座っていて席がない時も、夫に
「席を譲ってくれるように言いなよ」
とは言わないようにしようと思います。
夫には、
- 我慢して立っている
- 誰かが譲ってくれるのを待つ
- 譲ってくれるように話す
という選択肢があるのですから。
リオパラリンピックの動画トレイラー
このお話の後、英国の民放が製作したリオパラリンピックのトレイラーが紹介されました。
パラリンピックアスリートたちだけでなく、障がいをものともせず楽器を演奏したり、日常生活を送ったりしている人々も多数出演する3分ほどの映像です。
『Yes I can』で動画を検索すると観られますが,ここにも貼っておきますね。
とてもおしゃれな音楽と、びっくりするような素晴らしい映像に、感動と大きな勇気をもらえます。
失ったものと現れてきたもの
内田さんのお話の中で私が一番心に残ったのは、『存在したものの不在、不在だったものの顕在化』という話でした。
- 当たり前だと思っていた日常を揺るがす喪失体験は、病気、死別、失業等、誰にでも起こりうるものだということ。
- 想像していた未来がなくなり、今までにはなかった、例えば障がいを取り巻く概念が出てくるということ。
その時に人は自分自身の人生の意味に疑問をもち、葛藤するのですね。
内田さんがおっしゃるように、自分の人生に起きることを期待するのでなく、自分自身に与えられたもので何ができるかを考えながら生きたいと思いました。
あなたの人生にはどんな喪失体験がありましたか?
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