〔言葉の内に生き方が宿っている〕
先輩の嫌いな言葉七選
先日、経営者仲間のオンライン学習会で、4つの会社を経営する先輩が
「僕には嫌いな言葉が7つあります」
というお話をされました。
その7つとは、
- 『我慢』
- 『忍耐』
- 『努力』
- 『気合い』
- 『同情』
- 『指図』
- 『依存』
です。この7つの言葉から解放されたくて起業されたそうです。
私はそれらの言葉が嫌いかな、と考えた時に、2つ以外は嫌いでないように思いました。
あなたはいかがですか?
私はそんなに嫌いじゃない
- 『我慢』は、精神力を鍛える修行のようなものだと思っています。
現在、大好きな飲酒と映画鑑賞を我慢していますが、それは誰かから強制されたものでなく、今集中したいことがあって、それの妨げになるので、自ら我慢することを選んだのです。 - 『忍耐』も同じで、自分を律する修行だと思っています。
- 『努力』は自分を甘やかさない修行
- 『気合い』はモチベーションを下げない修行だと思っています。
私の場合、これらを我慢、忍耐……などと捉えないで、
「修行を楽しむ」
というように変換しています。
お寺育ちのせいか、子供の頃から『修行』に対する憧れがあったのです。
普段はぐうたらに見える父(禅宗の僧侶)が、京都の本山に修行に行くと別人のように痩せて、表情もキリッとしてカッコよくなって帰ってきたからかもしれません。父から修行の話を聞くのが好きで、割り当てられた1畳分のスペースで寝食をすることや、毎日朝早くから時間割通りの学習や托鉢等をこなすことが、とても素敵に思えたものです。
私が嫌いなのは2つ
話がそれました。
- 『同情』という言葉は、そこに相手を見下すような気持ちが入れば別ですが、相手の気持ちに寄り添って共感するというのは大切なことではないかなと思いました。
さて、ここからが私の嫌いな言葉です。
- 『指図』という言葉には確かに嫌な響きがあります。
私は教員時代、いつも教育委員会(とその後ろにいる文科省)に指図されている気がしていました。相手を下に見て命令するようなものでなく、『共同』に変換できると良いのにな、と思います。 - 最後に、『依存』という言葉はとても嫌いです。自分自身が依存心が強いからかもしれません。
自分の人生を生きることを放棄して、誰か、もしくは何かに依存して生きるのは、楽なことです。でも、せっかく与えられた人生を、誰か、何かのために生きるのはもったいないと思うのです。
というわけで、私は7つの言葉の中では、
- 『指図』
- 『依存』
が嫌いなのだなということが分かりました。
共通点は自主性が発揮できない、ということでしょうか。
嫌いな言葉を意識することで、自分がどう生きたいのかがわかるということを学びました。
これからも自分の人生の道筋は、自分で選択して生きていきたいと思います。
あなたの嫌いな言葉は何ですか?