子どもの自己コントロール力協会

【当たり前はどう変わりましたか?】

今は変革の時

〔不動盤石の価値観に訪れた変化〕

社会の常識の中で生きてきた私

私は生まれた時から社会の仕組み、社会の常識の中にいました。

気がつくと両親がいて、両親が仕事をするとお金がもらえて、私たちはそのお金で物やサービスを買って暮らしました。
少しお金を余らせて、それを貯金すると将来が安心だということです。

本音と建前の間で

学校に行くようになると、仲良くしたい子も虫が好かない子もいたけれど、それを表現するのは悪いことらしいので、とりあえず誰とでも仲良くするフリをしました。
学校では決められた場所で決められた時間に決められたことを勉強して、テストの点数が高ければ褒められて、低ければがっかりされました。

先生に褒められることをすれば親も喜んでくれるし、友達にもすごいと言われるので、できるだけ先生の言う通りにやって、褒められる行動をとりました。
大好きな本を読んでいるとなぜか褒められ、やはり大好きな漫画を読んでいるとなぜかがっかりされるので、自然と漫画は隠れて読むようになりました。
好きな男の子ができて交換日記をしていたら、みんなに冷やかされて居心地が悪くなり、羨ましがられることはこっそりする方がいいと知りました。

嫌いな科目ができたり、友達とうまくいかなかったりして学校を休みたい日もあったけれど、叱られそうなので、ずる休みは年に何回かにとどめておきました。
就職をするのは面倒くさそうだったので、とりあえず大学に進学することにして、合格したのが教員養成系大学だったので、母の期待通り教員になる勉強をしました。

形作られた常識がその後も規定する

こうして私の20年間は過ぎ、私は『常識的な』大人に育ちました。

教員の仕事は乱暴に言えば『子供を指導すること』と『教師としての立場を継続すること』です。より良い指導をするために際限のない仕事があり、立場を継続するために細かい仕事がありますが。
社会が決めた仕組みの中で常識の範囲内で子供を指導し、事務作業をし、30数年間やり過ごせば、老後は安泰です。
長年高額を払い続けた社会保険で、年金暮らしができるはずだからです。

状況の劇的変化が教師の心にも影響

やり過ごそうと思えばやり過ごせる『常識の世界』に疑問をもたなければ、要領良く教師を続けることはできると思います。

けれども、新型コロナウイルス感染症の影響で当たり前の世界が崩れ、これまで疑問をもたずにきた、もしくは疑問を内側に封じ込めていた先生方の中に、変化があらわれてきているのを感じます。
公教育制度の変化に加えて教師の意識の変化もあり、私が子供の頃からちっとも変わらなかった学校社会が、もしかしたら大きく変わる時かもしれません。

あなたの当たり前は〈コロナ禍〉でどのように変わりましたか?

モバイルバージョンを終了