〔10年経っても変わらぬ教育現場〕
最近、パソコン内の情報を整理していて、昔作ったフォルダを開いています。
今朝『学校』フォルダを開いてみたら、たくさんの自作資料が残っていて、
「いつか使うかもしれないからとっておく」
と部屋をガラクタだらけにしてしまう母と同じだなと思いました。
考えて作った目標も今となっては
『コミュニケーション能力育成』ファイルには、10年ほど前、校内の研修部長をしていた時に作成した、低・中・高学年別の指導目標が書かれています。
例えば低学年の項を見てみると、『友達と仲良く関わることができる』などと、曖昧なことが書かれています。
- 友達って誰?
- 仲良くってどういう状態?
- 関わるってどうすること?
と、昔の自分に問いかけたくなります。そもそも、どうして『友達』と仲良くしなければならないの?というところも押さえていません。
私がこの学校に勤めた時には低学年は2クラスずつでしたから、1クラス約40名×4クラスで、160人の児童が対象。
その160人全体への指導目標ですから、どうしても表現が曖昧になってしまうのですね。
思い込みが見えなくした大事な視点
当時の私は『友達と仲良く関わることができる』といえば、
「同じ学級や同じ学年の子たちと明るく楽しく協力し合って、学んだり遊んだりできる」
状態を頭に浮かべていたと思います。
でも、人との関わり方は、目的や場面によって変わりますし、方法も様々です。そういうことを度外視した『こうあるべきだ』が強い表現は、今見ると、とても滑稽です。
この資料には、コミュニケーションに一番大切な、
- 「相手のことを知りたい」
- 「一緒に何かをしたい」
という、きっかけの部分が抜けています。また、コミュニケーション能力の捉え方が『言語』に偏っていて、例えば身振りや声色や表情といった、非言語の部分には触れていません。
実はこの非言語の部分がとても重要だと、今は考えています。
高度過ぎて大人でも達成できない
高学年の項では、『書く力』の部分に
「目的や意図に応じて,考えたことなどを筋道を立てて効果的に相手に伝わるように書ける」
という目標が書かれています。高度すぎて、51歳になった今も私は達成できていません。
具体的にはどうしたら、その能力が身につくんですか?と、当時の私に教えて欲しいです。
こうしてツッコミを入れながら資料を見ているので、なかなか整理が進みません。いっそのこと、教員時代の私に
「ここがおかしい」
と伝える内容の本でも書こうかしらと思ってしまいます。
先日、若い先生とお話をしていて学校現場の変化のなさに驚いたので、現役当時の私に向けたメッセージは、今の学校の先生方にも通じるかもしれません。
まだまだ遅れる改革
先日、文科省の諮問機関である中教審が、授業時数についての検討を始めました。
けれども委員たちの発言は
「教育水準維持のために現在の時数は必要」
「問われているのは授業の質」
というものでした。
どうやら現役時代の私に、
「10年後も学校現場はちっとも変わっていないよ」
と伝えなければならなそうです。
あなたは10年前の自分にどんな言葉をかけますか?