〔試行錯誤が許されにくい時代に〕
『青春の門』に挑戦中
今、五木寛之さんの『青春の門』を読んでいます。
私はかなりの読書好きですが、なぜかこれまで五木寛之さんの本を読んだことがありませんでした(五木さんが訳した『かもめのジョナさん』だけは読んだことがあります)。
でも、移住してきた八女市立花町が五木寛之さんの出身地で、少し足を伸ばせば生家にもいけるところに住んでいるとなれば、興味が湧きます。
五木さんのエッセイはとても読みやすく、役に立つものが多いのですが、小説はもともと私の苦手な分野で、しかも出世作の『青春の門』は9巻にも及ぶ大作なので、読み始める覚悟を決めるのに時間がかかり、ようやく手にとった感じです。
時代背景を現代と置き換えてみる
1巻目『筑豊編』は映画で観たという方もいると思いますが、この近くの地域が舞台でエネルギーがあり、あっという間に読み終えました。
2巻目『自立編』、3巻目『放浪編』、4巻目『堕落編』では、主人公の信介が早稲田大学に進み、自分の歩む道を見つけられなくて、苦しみもがきながら生きている様子が描かれています。
確かに私にも、エネルギーが有り余っていて、でも、大学の講義にはあまり意義を見出せなくて、何をしたら良いのだろうと悶々としていた時期がありました。きっと、信介と同じように目的も何もないままに進学してしまったので、迷子になってしまったのでしょう。
今の若者の中にも、そういう状況にある人がいるのかなあと思い、今はインターネットがあるから違うのかなと考え直しました。
でも逆に、インターネットで玉石混交の情報が飛び交っているからこそ、迷子になってしまっている人が昔よりも多いかもしれません。
もしも信介が生きた時代にインターネットがあれば、信介は重労働をしたり、血を売ったりりせず、『誰でもすぐに稼げる!』といった売り文句に乗っかって、詐欺にあったり、犯罪者になったりしていたかもしれません。
昔は「若い時の失敗はあとで取り返せる。だから若いうちにたくさん失敗経験をしておくと良い」と言われたものですが、今は後で取り返しのつかないような失敗をしてしまう可能性が高くなったような気がします。
なぜなら、インターネットの普及で情報の正体が分かりにくくなり、気がつかないうちに法を犯してしまっていたり、意識しないまま加害者になっていたりすることがあるからです。
迷子になってあちこち歩き回っているうちに、自分に合った行き先を見つけられれば良いのですが、情報過多な今の時代、それを探すのも大変です。
機会に恵まれて進む道がはっきりしても、時代の変化が早いので、じっくり学んでいる間に状況が変わってしまうということもあります。
求められるものを自覚しつつ生きる
いかに目的を定め、逆算し、戦略を練って、速やかに行動し、柔軟に行動を修正していくか……それを求められる今の時代を生きるのは大変だなあと思います。
『青春の門』の中の信介は、大学時代を何年も自問自答しながら生きていますが、きっとこの先、生きる意味を見つけて才能を開花させていくに違いないという期待をもって読み進めているところです。
今、新型コロナウイルス感染症の影響で活動を休止せざるを得ない多くの若者たちが、忙しい日常から離れ、自分らしい生き方をじっくり考える時間をとれていると良いなと思います。
あなたはどのような目的をもって生きていきますか?