〔コンサルは受けたものの〕
先日、zoomでコンサルを受ける機会がありました。
ちょっと新しいことに挑戦してみたくて、その道のプロから、詳しい話を聴こうと思ったのです。
パソコンの画面越しに対面したプロは、私の娘と同じくらいの年頃の、清潔感のある青年でした。
すぐに合わないと思ってしまった
私は彼のプロフィールを知ってコンサルを申し込んでいたので、まずは私の自己紹介から。
その後、やりたいことなどを質問していただき、中心テーマに入るという流れでした。
けれども、自己紹介後に質問をされた時点で、私はこの方とは合わないな、これ以上お話を聴いても無駄だなという気持ちになってしまいました。
それでも一応失礼のないように対応し、質問などもしてみたのですが、どう努めても無理でした。
最初に感じた溝が埋まることはなく、約束の時間の半分で、コンサルを終了していただきました。
なぜなら彼の質問が、とても的外れだったからです。
直前の私の自己紹介はあってもなくても同じ。
自分の言いたいことに誘導するための質問でしかないと、私は感じたのです。
もちろん、そういう話が聞きたいという方もいるでしょうし、そうでなくても話しているうちに彼の人柄に惹かれて一緒に活動したいと思う方もいるかもしれません。
けれども、私はダメでした。
家庭訪問と同じ
zoomから退出してから気づいたのは、もしかしたら初対面の人と合うか合わないか探りながら話をするというのは、家庭訪問に似ているかもしれないということ。
保護者からすると、大切な我が子を1年間指導してくれる担任がどんな人物かというのはかなり重要なことなので、家庭訪問の時にはそれを見極めようとするでしょう。
その時に、先生が自分の言いたいことだけを言って、子供のことや家庭の状況等をきちんと聞いてくれていないと感じたら、不信感をもってしまうと思います。
一度不信感をもつと、それがなかなか払拭できなくて、問題が起きた時に先生の対応が悪かったと思ってしまう……それがクレームに繋がるのかもしれません。
学校では“途中退出”は難しい
コンサルやカウンセリングであれば、自分には不要だと感じた時に打ち切ることができますが、学級はそうはいかないのでお互いに大変です。
私はきちんと子供達や保護者たちの話を聴ける教師だったかなあと、思わず教員時代を振り返ってしまいました。
これはコンサルや家庭訪問に限ったことでなく、すべてのことに当てはまると思います。
改めて傾聴することの大切さを感じ、誠意をもって人のお話を拝聴しようと考えました。
あなたは人の話を聴くことができていますか?